『ソライロノハナ』抄

 

二月の海

 大磯よ汽車にのりたくなりたれば
 海が戀しくなりたればきぬ

 悲しみて二月の海に來て見れば
 浪うち際を犬の歩るける

 砂山にうちはら這ひて煙草のむ
 かつはさびしく海の音きく

若きウエルテルの煩ひ

 君に逢はず山百合つみて歸りくる
 小出松原なくほとゝぎす

 才(ざえ)たらで 御國はぐゝむ歌もなし
 身は弱うして よる胸もなし

 櫻貝ふたつ重ねて海の趣味
 いづれ深しと笑み問はれけり

 夏祭すこしはなれて粧ひし
 君と扇の風かはしけり

午 後

 我が肺にナイフ立てみん三鞭酒
 栓ぬく如き音のするべし

 拳固(こぶし)もて石の扉をうつ如き
 愚ろかもあへて君ゆへにする

 春の夜の酒は泡だつ三鞭酒(シャンパニュー)
 樂はたのしき戀のメロデイ

 場末なる酒屋の窓に身をよせて
 悲しき秋の夕雲を見る

 八疊の柱どけいのちくたくと
 母の忍ばゆ家を思へば

 忘られず青き活動(シネマ)の幕ぎれに
 巴里の大路をよこぎりしひと

 寒き風は吹くと思ひぬ故郷の
 赤城牧場の古榎より

 靴ぬぐとかの玄関の敷石に
 涙おとしぬ放浪の子は

 歌舞伎座の運動場にて見し人を
 伊香保の町の石段に見き

 前橋の電話交換局にありといふ
 わが初恋の人のせうそこ

 ある宵のオペラの序幕合唱隊(コーラス)の
 中に見し人わすられぬ哉

 岡山の高等学校の庭にさく
 だありやの花こすもすの花

何處へ行く

 あゝえたえず、と思ふときは日記(にき)をくり
 死なん と書きて心しづまる

 酒のめば亀の子のごと頸ふりて
 わからぬことを唄ふたのしさ

 襟しろき女に見とれ四ツ辻の
 電信柱に突きあたりけり

 腦病と自ら言ひて学校を
 怠ける男 歌をよく詠む

 この男寝ても覚めても煙草のむ
 悲しきくせをおぼへけるかな

 島子てふ藝者がくれしハンケチを
 母に見られし一大事かな

 いづこにか我は行くべき今日もまた
 電車に乗りて街をめぐれり

 しかれども悲劇の中の道化役者(ピエロー)の
 一人(にん)として我は生くべき

 不覚にも胸さはがせて背後(うしろ)より
 おどかす君がにくきたくらみ

 前橋の共進会の裏門の
 畑の中にきく秋の風

 すてばちの身をば柱に投げかけて
 忍び泣きする此の頃のくせ

 沈みゆくセロの響きに神経の
 ふるふがごとき春の夕暮

 若き身のわれが奏づるマンドリン
 ちゝろ ちゝろと泣くが哀しき

 ニコライの尼が僧衣のま白なる
 カフスのうへにたヾよへる秋

 夜をこめて まどろみもせぬあかつきの
 白熱燈の消ゆる侘しさ

 ほのかにも瓦斯のにほひの漂へる
 觀工場のくらき敷石

 しもやけのうすら痒きがうら悲し
 母に無心の手紙かくとき

 妻もたぬ身には慰む人もなし
 柱によりて忍び泣きする

 街行けばあれは酒飲み度しがたき
 のらくらものと行人の見る

 あることが可笑しくなりて何うしても
 笑ひがやまず電車の中にて

 学校を追はれし我がさかしげに
 世を罵れば親はまた泣く

 酒を飲むその時の外の我を見れば
 生きてあるごとし 死にてあるごとし

 たゞ人は物言ふときもうつむける
 少年とのみ我を見るらむ

 わがまへに人いくたりかつまづきし
 かの途を行き この途を行く

 その心ダイナマイトに似たれども
 弱々しげに見ゆる少年

 その頃の十七才の少年と
 われを思へる祖父(おぢ)のいましめ

 宵ごとの父の小言を時ありて
 きかざることを悲しみとする

 横町のぼんくら安も人並に
 我を説かんと日をおきて来る

 新らしき此の國の人犬のごと
 口籠(くちご)せられて生くるはかなさ

 一人にて酒をのみ居れる憐れなる
 となりの男なにを思ふらん
             (神谷のバアにて)

 淺草の活動寫眞の人ごみの
 中にまぢりて一人かなしむ

うすら日

 夏くれば君が矢ぐるまみづいろの
 浴衣の肩に にほふ にひづき

 おん肩へ月は傾むき煙草の灯
 ひかれる途の ほたるぐさ哉

 かくばかり ひとづま思ひ遠方の
 きやべつ畑の香にしみてなく

 ふきあげの みづのこぼれをいのちにて
 そよぎて咲ける ひやしんすかな

 しのゝめのまだきに起きて人妻と
 汽車の窓より見たるひるがほ

萩原朔太郎
『ソライロノハナ』1913.

「自序」 『絶望の逃走』

…抒情詩は、私の生活に於ける「夜」であり、思想詩は、私の生活に於ける「晝」であつた。抒情詩するところの私は、夜の夢の中で恐ろしい夢魔にうなされたり、青猫の居る幻燈の町々を歩いたりした。夢の中で見る世界のことは、様々の錯覺と幻影とに滿たされて居り、到底晝間の常識では捕捉されない。時としては、平常の意識が全く思ひがけないやうな意外のことさへ、夢の現象の中には現はれて來る。抒情詩人としての過去の私は、つまり言つて夢遊病者のやうなものであつた。しかしながらどんな夢も、自分の心象にないことを浮べはしない。夢を科學的に分析すれば、その人の全精神過程が歴々と現はれて來る。夢は魂の最も正直な告白である。そしてこれがまた、魂の告白の文學として、抒情詩の最高に尊ばれる所以でもあるだらう。

 ……

 

萩原朔太郎 「自序」 『絶望の逃走』 1935.

 

風俗壊亂の詩とは何ぞ

 

 私の詩集「月に吠える」は二十一日になつて突然發賣禁止の内達を受けた。その理由は集中のある一、二の詩篇に風俗を壊亂するものがあるといふのださうだ。
  ……
 禁止されたものは「愛憐」及び「戀を戀する人」の二篇であつて、共に性慾に關する一種の憧憬及びその美感を歌つた者ではあるが、その取材といひ内容といひ極めて典雅な耽美的の抒情詩であつて、どこに一つの不思議もないものである。若しかやうな詩篇が風俗を壊亂するといふのなら、古來のあらゆる抒情詩の中でいやしくも戀愛に關するものは悉く禁止されなければならない筈である。思ふにこの標準で行くと聖書の「雅歌」や日本の「萬葉集」などは最も風俗壊亂の甚だしい詩歌にちがひない。何故彼等は聖書の發賣禁止を命じないか。
 私はこの餘りに馬鹿馬鹿しい憤激と反感とを表現するのに一種の皮肉な微笑を感ぜずには居られない。……
併し幸にも「月に吠える」は當時まだ市中の書店に配本されて居なかつたため警保局の特別なる好意(詩集であるが故に)に由つて全部の没収を免かれた。それで集中からその注意された淫猥な詩篇一、二篇を削除して再び改版の上世に出ることになつた。
 ああ、風俗壊亂の詩とは何ぞ。この問題は私にとつて思議することの出來ない神秘である。今はただ改版になつた自分の詩集が、たいへんお目出度い官許の詩集であるといふ意味のことだけを述べておく。

萩原朔太郎 1886-1942)
『上毛新聞』1917(大正6)年2月25・26日
萩原朔太郎全集 第六巻』筑摩書房 1987(昭和62)年3月10日補訂版